この年の… | |||
月 | 日 | 出来事 | |
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1 | 26 | 吉田松陰 ⇒ 萩発,10年の遊歴の旅に出発 | |
2 | 江戸から小田原にかけて大地震 | ||
3 | 坂本龍馬(19) ⇒ 「小栗流和平法事目録」を授かる | ||
3 | 15 | 坂本龍馬 ⇒ 土佐藩庁より江戸剣術修行の許可が下りる | |
3 | 17 | 坂本龍馬,溝淵廣之丞 ⇒ 15ヶ月間の江戸剣術修行の旅に出る | |
陽3 | 25 | 亜米利加合衆国東印度艦隊 ⇒ シンガポール着(~陽3/29) | |
3 | 嶋津斉彬 ⇒ 一子を実子として「丈夫届け」を幕府へ提出、一子は篤姫となる | ||
3 | 大坂町奉行 ⇒ 株仲間再興に伴う処置として、仲間以外の綿売買を禁止 | ||
4 | 19 | 亜米利加合衆国東印度艦隊 ⇒ 那覇着 | |
4 | 30 | ペリー ⇒ 首里城で琉球の総理官と会見 | |
4 | 下 | 坂本龍馬,溝淵廣之丞 ⇒ 江戸着、桶町・鍛冶橋 | |
陽5/4 | 亜米利加合衆国東印度艦隊 ⇒ 上海着(~5/17まで) | ||
陽5/26 | 亜米利加合衆国東印度艦隊 ⇒ 琉球着 | ||
5 | 26 | 亜米利加合衆国東印度艦隊 ⇒ 琉球発 | |
5 | 嘉永三閉伊一揆 | ||
5 | 幕府 江戸府内の女髪結業の増加を禁止、女子の奢侈を戒める | ||
6 | 3 | 吉田松陰 ⇒ 佐久間象山を訪問 | |
6 | 3 | 陽7/8 | 黒船来航 |
6 | 5 | 篤姫 ⇒ 今和泉邸を出て、鹿児嶋城へ入る | |
6 | 9 | 陽7/14 | ペリーら300名、15隻のボートで久里浜に上陸 |
6 | 10 | 陽7/15 | 早朝 ミシシッピが川崎沖まで侵入 ⇒ 江戸湾に測量隊を出す |
6 | 12 | 陽7/17 | 黒船退去(国書回答延期を認め,来年の再来航を約束) |
6 | 14 | 陽7/19 | 亜米利加合衆国東印度艦隊 ⇒ 小笠原諸島着(~6/18まで) |
6 | 22 | 徳川第12代将軍:徳川家慶(61)死去 | |
7 | 3 | 老中:阿部正弘 ⇒ 御目得以上の旗本に対米交渉の意見書を求める | |
7 | 3 | 前水戸藩主:徳川斉昭 ⇒ 幕政参与に任命される | |
7 | 12 | 勝麟太郎(31) ⇒ 幕府に「海防意見書」を提出 | |
7 | 18 | 陽8/22 | 露・プチャーチン艦隊(パルラダ号)4隻 長崎に来航 |
8 | 21 | 篤姫(19) ⇒ 鹿児嶋発,上洛 ⇒ 正式に近衛家の養女となり,敬子となる | |
8 | 24 | 江川太郎左衛門英龍(韮山代官36代目)ら ⇒ 台場築造工事に着手 | |
9 | 陽10/17 | 幕府 ⇒ 大船製造解禁 | |
9 | 23 | 坂本龍馬 ⇒ 父:坂本八平宛書簡 勝麟太郎 ⇒ 佐久間象山より"海舟書屋"の書を贈られ,号を「海舟」とする |
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10 | 23 | 徳川家定 第13代将軍に就任 | |
10 | 篤姫 ⇒ 江戸・芝藩邸へ着,嶋津斉彬の養女となる | ||
11 | 幕府 ⇒ 水戸藩に軍艦建造を命令 | ||
12 | 1 | 坂本龍馬 ⇒ 佐久間象山に砲術指南を受ける | |
12 | 幕府 ⇒ 水戸藩に石川嶋造船所の設立と運営を依託 | ||
12 | 20 | 露 プチャーチン艦隊 ⇒ 長崎に再来航 |
カテゴリー | ジャンル | 作品 |
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