それぞれの時代
— The Story of History —

1600
 慶長5年 庚子
     
  出来事
1 1 豊臣秀頼 → 諸大名の参賀を大坂城にて受ける
1 25 細川忠興 → 息子・光千代を人質として江戸へ送る
2 1 徳川家康 → 信濃川中島の田丸忠昌を美濃兼山に移して、恵那・土岐・可児の3郡を与える
2 1 徳川家康 → 美濃兼山の森忠政を信濃川中島に移して、更級・水内など4郡を与える
2 2 上杉景勝 → 神指城の築城開始
2 2 Robert Devereux Essex(34) 処刑
2 7 徳川家康 → 細川忠興に豊後・杵築60,000石を加増
2 7 家康8男・徳川仙千代(6) 死去
3 5 リーフデ号(オランダ東インド照会所属商船) → 豊後・臼杵に漂着
3 12 上杉景勝家臣・藤田信吉 → 石田三成方へつくことに異を唱え、老臣・直江兼続と対立
3 13 上杉景勝 → 領内の諸城主に若松の招集命令(表向きは上杉謙信の23回忌法要)
3 16 リーフデ号(オランダ東インド照会所属商船) → 大坂に回航
3 嶋津忠恒 → 日向・都城主:伊集院忠真(80,000石)を降伏させる
4 1 徳川家康 → 京・相国寺の豊光寺承兌(西笑)に上杉景勝の罪状を列記させる
4 1 上杉問罪使 → 大坂発
4 27 島津義弘軍200 → 大坂城で徳川家康に面会,伊集院忠真との調停を謝す
5 3 徳川家康 → 直江兼続よりの返書を見て怒り,諸大名に出征命令 「上杉追討令」
5 8 岐阜城主:織田秀信(22) 死去
5 12 徳川家康 → ウィリアム=アダムス,水夫1人を大坂城に引見
5 17 前田利長 → 徳川家康に和睦を申し入れ,母・芳春院を人質として差し出す
6 2 徳川家康 → 関東の諸将に会津出征の準備を命令
6 6 徳川家康 → 諸将を大坂城に集め,会津征討軍を編成
6 16 徳川家康軍3,000 → 上杉討伐のため大坂・京橋口発,山城・伏見城へ
6 18 徳川家康 → 伏見城を出馬,大津城下を通過,近江・石部で宿
6 22 徳川家康 → 伊勢四日市に着
6 23 徳川家康 → 遠江・濱松城に入り,城主・堀尾忠氏の接待を受ける
6 24 徳川家康 → 遠州掛川着,城主・山内一豊に接待される
6 25 徳川家康 → 駿府城着,病態の中村一氏が出迎える
6 29 徳川家康 → 藤澤から鎌倉・鶴岡八幡宮へ,戦勝を祈る
6 大谷吉継軍約1,000 → 越前・敦賀を発
7 1 山内一豊 → 江戸着
7 2 大谷吉継  → 垂井着
7 2 徳川家康軍55,800 → 江戸城着,秀忠が品川に出迎え
7 6 吉川廣家 → 出雲・富田を出馬
7 11 越前敦賀城主:大谷吉継 → 垂井から佐和山へ,石田三成と作戦計画を立てる
7 12 安國寺恵瓊 → 佐和山城へ入る
7 13 先鋒・榊原康政軍 → 江戸発
7 15 毛利輝元 → 廣嶋発,海路大坂へ
7 16 毛利輝元 → 大坂・木津着
7 16 細川ガラシャ(38) 自刃
7 17 毛利輝元 → 家康の留守居・佐野綱正を追い出し大坂城・西の丸へ
7 17 石田三成 → 挙兵宣言,徳川家康の13ヶ条の罪状書を諸大名に公布
7 17 中村一氏 死去
7 19 伏見城攻防戦
7 20 大谷吉継 → 真田昌幸・信繁に豊臣方へ就くように要請
7 21 真田昌幸 → 石田三成より家康軍征伐の檄文を受け取る in 下野・犬伏
7 21 徳川家康軍 → 会津討伐のため江戸発,鳩谷に宿
7 21 田辺城攻防戦
7 22 徳川家康軍 → 岩槻着
7 22 直江兼続 → 実弟の大國實頼に命じて,佐藤甚助らを越後に派遣,親上杉の土豪を煽って越後に一揆を起こさせる
7 23 徳川家康軍 → 古河着
7 24 白石城攻防戦
7 25 小山軍議 in 下野・小山・須賀神社
7 26 徳川家康 → 小山発,江戸へ
7 27 八条宮智仁親王(後陽成天皇の弟) → 使者を派遣し,細川幽斎に田辺城開城を勧告
8 1 東軍・伏見城陥落
8 2 前田利長,前田利政 → 加賀大聖寺城を攻略
8 2 越後・下倉山城攻防戦
8 4 徳川家康 → 小山発
8 10 石田三成 → 佐和山発,美濃・垂井を通過
8 10 東軍先鋒・福島・池田隊 → 尾張・熱田へ,清洲城入城
8 10 上杉景勝,直江兼続 → 会津若松に帰還
8 21 東軍 木曾川上流方面軍18,000 清洲城発 → 河田から米野へ進軍
8 21 東軍 木曾川下流方面軍16,000  尾越を迂回して竹ヶ鼻城を攻略,岐阜城へ
8 22 河渡川の戦い
8 22 東軍・竹ヶ鼻城 陥落
8 22 西軍・岐阜城 陥落
8 24 伊勢・安濃津城攻防戦
8 東軍・松坂城陥落
9 1 徳川家康軍32,700 → 江戸城発,神奈川宿
9 1 徳川秀忠軍 → 軽井沢着
9 2 徳川家康 → 藤澤着
9 2 徳川秀忠軍 → 小諸城(仙石秀久50,000石)着
9 2 大谷吉継 → 越前より美濃へ,山中村に着陣
9 3 京極高次軍(2,000) → 東野発,美濃へ
9 3 徳川家康軍 → 小田原着
9 3 大谷吉継軍 → 関ヶ原・山中村に着陣
9 4 東軍・徳川家康軍 → 三島着
9 5 大谷吉継,毛利秀元,吉川広家,小早川秀秋,長宗我部盛親,長束正家ら関ヶ原付近に着陣し始める
9 5 東軍・徳川家康軍 → 駿河・清美関着
9 6 東軍・徳川家康軍 → 駿河・島田着
9 6 第2次 上田城攻防戦
9 7 毛利秀元(19),吉川廣家(40)軍20,000 → 伊勢から美濃・南宮山に着陣
9 8 大津城攻防戦
9 9 徳川家康 → 三河・岡崎着
9 9 直江兼続軍24,000 → 米澤城発,出羽最上領へ侵攻
9 9 黒田如水 → 中津城発,國東半島へ
9 9 大友義統 → 浜脇(別府)に上陸,約2,000の兵が糾合
9 10 徳川家康 → 尾張・熱田着
9 10 徳川秀忠 → 上田城攻めを中止することを決定
9 11 徳川秀忠 → 小諸城を発
9 11 徳川家康 → 尾張・一宮で藤堂高虎と面会
9 13 徳川秀忠軍 → 和田峠,下諏訪に宿
9 13 舞鶴田辺城 開城
9 13 大津城・二の丸陥落
9 13 徳川家康軍 → 尾張・清洲発
9 13 豊後 石垣原の戦い
9 14 徳川家康 → 岐阜発
9 14 杭瀬川の戦闘
9 14 西軍(石田三成,島津義弘,小西行長,宇喜多秀家ら) → 大垣城を発,関ヶ原へ
9 15 大津城陥落
9 15 関ヶ原の戦い
9 15 長谷堂城の戦い
9 15 大垣城の戦い
9 16 東軍(小早川,朽木,脇坂,小川) → 佐和山城攻撃開始
9 16 直江兼続別働隊・本村親盛,横田旨俊軍4,000 → 上山城攻撃に失敗,惨敗
9 16 黒田如水軍 → 國東半島の安岐城へ進軍
9 17 美濃・大垣城(主将:福岡長堯)開城
9 17 佐和山城 陥落
9 18 徳川家康 → 近江八幡着
9 19 徳川家康 → 草津着
9 20 徳川秀忠軍 → 大坂城に入る
9 20 徳川家康軍 → 大津城に入る
9 21 石田三成 → 近江・伊吹山・古橋村で,田中吉政の兵に捕縛される
9 21 肥後隈本の加藤清正 → 小西行長の肥後・宇土城を攻略する
9 23 徳川家康,秀忠と面会
9 23 安國寺恵瓊 → 京都で捕縛される
9 24 毛利輝元 → 大坂城・西の丸を退去、木津・毛利邸へ
9 27 徳川家康 → 大坂城・西の丸に入り,淀,豊臣秀頼と面会
9 30 近江・水口城 陥落
10 1 上杉景勝軍 → 出羽より撤兵開始
10 1 石田三成(41),小西行長(43),安國寺恵瓊 洛中引き回しの上斬首 in 京・六条河原
10 2 福原直高(長堯) 切腹
10 3 直江兼続 → 荒砥城を撤退
10 3 嶋津義弘 → 薩摩へ帰国
10 4 直江兼続 → 米澤城へ帰還
10 12 九鬼嘉隆(59) 自刃
10 15 黒田如水軍 → 香春岳城を攻略
加藤清正 → 宇土城(小西行景,内藤如安)を開城
10 25 黒田如水,加藤清正,鍋嶋直茂 → 筑後・柳川城(立花宗茂)を攻略
11 筑後柳川城・立花宗茂 → 降伏,嶋津追討軍参加を命じられる
11 12 黒田如水,加藤清正 → 水俣で家康からの嶋津戦の停戦命令を受ける
11 28 家康9男・徳川義直 生誕
12 1 長曾我部老臣連中 → 鈴木平兵衛、松井武大夫に降伏開城を決定
12 土佐 一領具足 → 浦戸城に籠城
12 13 真田昌幸,幸村 → 紀州・九度山へ来る
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